おのぼり音楽紀行

ヴァイオリンと共にフランスに滞在。ゆるりと日々のこと、思ったことを書き記します。

エッセイ un essai

最近クラシック音楽界隈で熱いのは、ショパン国際コンクールがライブ配信されていることだ。

(といっても、これを書いている今は遂にファイナルの結果を待つのみとなってしまった)

言わずとも知られたピアニストの登竜門の1つでもある国際コンクールだ。

コロナで悪いことばかりの今日だが、ライブ配信でショパン国際コンクールを世界中どこからでも拝聴できるようになったことは、良いことの1つといってもいいだろう。

 

ちょうど先日、私は中村紘子さんのエッセイを読み終えたところで、実に面白かった。

エッセイの中にはショパン国際コンクールにまつわる話もあったのだが(彼女はショパン国際の入賞者であるだけではなく、その後何度も審査員を努めてらっしゃった)、偶然ショパン国際のネット配信の時期と被ったこともあり、現実味が出て大変興味深く読ませて頂いた。

中村紘子さんといえば、着物を着てピアノを弾いていた人というイメージが私にとっては強く、エッセイをたくさん書いて残していたとは私は恥ずかしながら全く知らなかった。

 

ちなみに音楽家が自伝書を書いていることはあんまり珍しくは無い。

多くの音楽家が「天才」と呼ばれるタイプの人種だし、そういう人がどうやって育ったのか、出来上がったのかはそれもまた多くの人々が気になることではあるので、自伝書がたくさんあるのも自然だと思う。

しかし自伝書の中にも、天才の頭の中を覗き込めた気になれる面白いものから、ナルシズムだけによって織りなされたものまである。

音楽家にはパフォーマーである以上、ナルシストであることも重要なことだとは思うのだが、分厚い本にまでそれがふんだんに込められていては個人的には辟易する。

 

ところが中村紘子さんのエッセイは全くそういうものがなくて、交友がとても多く、彼女の人柄の素晴らしさがひしひしと伝わってきた。

ピアニストとしてだけでなく、音楽家、教育者、そして著者としての活躍を通しての、彼女ならではの稀有な経験が詰まった1冊であった。

もし彼女がまだご存命で、今年のショパン国際を見ていたら、どう思って、どんなエッセイを残してくれたのだろうか。

そろそろファイナルの結果が出そうなので、今夜はこのあたりで。