おのぼり音楽紀行

ヴァイオリンと共にフランスに滞在。ゆるりと日々のこと、思ったことを書き記します。

la responsabilità

こんにちは。

 

怒涛のように忙しかった日々が嘘のように、平穏な毎日です。

最近はというと、やたらと踊っています。

というのも授業の関係上、舞台を作ることが多いため。

先週はバロックダンスのステージ。

今週はコメディコンサートのステージ。

明日は、そのコメディコンサートのステージの本番です。

 

これまで、わりと舞台やお芝居に関わることが多かった私なので、ある意味慣れてるのですが、

今回のはまた一つ風変わりなステージです。

というのもその授業の指導の先生がいて、その彼女のアドリブを皆が模倣してステージを作り上げていくという過程を踏むので、台本もあったもんじゃありません。

彼女はコメディアン女優だったのでしょう、歌も歌えるし、踊りもできて、お芝居もできるのです。

もう60近いのでしょうが、スタイルも綺麗で、いかに体を綺麗に見せるかというのを日々心がけた結晶なのだろうと思います。

結局音楽家も女優俳優になりきれるか、想像力がいかに大切か、ということ改めて感じた授業でした。

 

でも一番心に突き刺さったのは、授業の中で何度か個人レッスンの時間を設けて彼女と二人で話したときのこと。

彼女はいつも私を見て「なんでそんなにあなたは悲しそうなの?」と聞いてきたのでした。

普通にしてる私はだんだん腹が立って「これが今の私の普通。もしこれが悲しいのだとしたら、もう分からないし、もう慣れてしまった。」と話しました。

すると「母国をひとり離れて出てきて寂しいのは当然よ。あなたは自分に対して責任を背負いすぎてるのではないかしら。それによって、あなたは自分を自分で閉じ込めてしまってるように感じる」と。

 

なんだか初めて、自分が寂しいと感じてるのだと自覚した瞬間でした。

そしてある出来事から、私の胸の中でずっとしこりのように残ってた「責任」というものに対しても、人は「責任」をもっと手放して生きてるのか、と漠然と初めて思ったのでした。

私の両親、特に母親は本当に責任を全うする人で、自分の役目は最後の最後まで果たさなければならないのだと、どこか強く刻まれて私自身育ったように感じます。

それはとても幸せなことだと思うし、そんな母を今も尊敬してるけど、「責任」に対して少し考えが変わりました。

 

「芸術とは?」「自由とは?」

授業でよく彼女が聞いてきた質問です。

あなたの中で答えはありますか?

 

 

La responsabilità:責任

essere responsabile di: 〜に対して責任がある