おのぼり音楽紀行

ヴァイオリンと共にフランスに滞在。ゆるりと日々のこと、思ったことを書き記します。

進化しない奴は生き残れない On devrait toujours évoluer

今日は少し真面目な話。

 

昨日は自宅待機始まって2度目のオンラインレッスンを受けた。

不運か、幸運か、今は私自身を生徒を一人も持っていないので、レッスンをする立場にはなく、一方的に受ける側だ。

音楽家の間で今までもスカイプレッスンと呼ばれる、オンラインレッスン自体は存在していたが、正直少し冗談めいた響きがあって、本当に緊急の際にしかやらないものというのが私たちの共通認識だったと思う。

それが今回の自宅待機以来、オンラインレッスンを享受するのが唯一の方法であり、生徒を抱えてる先生の義務に変わった。

特にクラッシック音楽は些細な差が大きな差となる厄介な音楽なので、オンラインレッスンにおいて、ネットと機械を通した結果、音のクオリティが下がったりすることはもちろん障害である。

Facebookではこんな画像も回っていた。

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facebookより

これは生徒が「先生、それはネットの接続のせいです。だってここではめっちゃ良く鳴ってますよ」と言ってる絵である。

もちろん冗談の絵だが、皆半分は同意していると思う。

 

オンラインレッスンが実際のレッスンとはかなり勝手が違うのは百も承知だが、やはり生徒も先生もそれに対応しなければ、今のこの状況下では時間をただ潰すのと等しいと私は思う。

そんな私が思った点を、ここにとりあえず書いておこうと思う。

 

1.弾くことによる模範演奏は、オンラインレッスンの間は極力避けたほうが良い

私は、もともと生徒にひたすら弾いて手本をみせる先生があまり好きではない。もちろん初心者には手本を見せるべきだと思う。子供は直感的に物事を理解をするのが上手なので、効率がいいのは言うまでもない。だが、ある程度熟練の人に対して、ひたすら弾いてレッスンをするのは、まるで先生のコピーをしろと言ってるようで吐き気がする。テクニックを説明するのに手本を見せるのは有効だが、音楽性を説明するのにただ弾いて説明するのはそうとは言えないと思う。そこでオンラインレッスンとなると、ネットが遅いと動作と音が一致していないので見本も見本にすらならず、説得力には欠ける一方だ。

2.カメラと楽譜はできるだけ側に置く

ヴァイオリンを弾く上において、弓順はかなり重要だ。というのも弓はアーティキュレーションを操作するもので弦楽器奏者が最後まで苦労するのが、音程より弓の技術と言われている。それで先生がより良い弓順を生徒に教えるのはよくあることだ。それがオンラインだと、もし先生を映し出してるスクリーンと楽譜があまりにも離れていると、先生の弓順を楽譜を見ながら追いかけて行くのが大変になる。それぞれをできるだけ近くに置けるように工夫するのが得策だと思う。もし先生が、楽譜と自分の映像を同時にスクリーン上に映し出せる技術を持っていたら、言うことはない。

3.クオリティの追求ではなく、とにかくたくさんの音楽を読むことに集中する

最初にも述べたように、とにかく機械を通してしまっては音のクオリティに何か言及するのは難しくなる。そこで音楽を深く追求していく期間とは思わず、とにかくたくさんの音楽を譜読みすることに時間を注ぐのが、今を過ごすのに効率がいいと思う。楽譜をたくさん読むことは初見の勉強にもなる。

4.伴奏の録音を送る、もしくは伴奏も練習するように要求する

ネット環境が昔よりずいぶん進んだとはいえ、さすがにネットを通じて合唱、合奏するのは今はまだ無理である。バロック音楽は先生が通奏低音を一緒に弾いてレッスンを進めるのが定例だが、もちろん今は無理。じゃあこれも伴奏を勉強する機会と捉えたほうが良いのでは。先生が前もって伴奏を録音してあげて音源を送るのもあり、今流行りの多重録音をしてみるのもありだろう。

 

なんだか偉そうになってしまったけど、オンラインによる環境に少しでも慣れていかないと、時代に取り残されて行くのを最近しみじみ感じている。

今のこの不自由な環境をいい勉強時間に費やせたら、まだましなんじゃないかと思う次第です。