おのぼり音楽紀行

ヴァイオリンと共にフランスに滞在。ゆるりと日々のこと、思ったことを書き記します。

魅惑のチョコレートケーキ Le gâteau séduisant au chocolat

はたまた料理の話。

ピエールエルメで働いたことのある友人から、ピエールエルメのガトーショコラのレシピたるものを教えてもらったので、作ってみた。

 

レシピは普通にネットでものっていたので、ぜひ作って見てほしい。

作り方はめっちゃシンプルで簡単。

macaro-ni.jp

 

最近年をとったなとしみじみ思うのが、料理一つを思い浮かべただけで、どこかで誰かと食べた美味しかった記憶や、誰かが作ってくれた味と思い出が思い浮かぶことだ。

 

音楽の場合は辛い思い出が若干よみがえる時もあるが、料理は基本幸せな思い出だけなのでデブ活にさらなる拍車がかかる。

 

私のなかでチョコレートケーキで一番に思い浮かぶのは、ある講習会で食べたチョコレートケーキだ。

その講習会というのは、私はかなりの頻度で参加したのだが、毎度同じシェフが料理の腕をふるってくれるのが目玉でもあった。

彼は豪快な美味しいフレンチの家庭料理を幾度となく振舞ってくれたのだが、中でも彼の作るチョコレートケーキは彼の十八番でもあり、最も美味しいデザートであった。

そのチョコレートケーキを食べた人は皆そのケーキの虜になる、まさに魅惑のケーキであった。

講習会に特別講師として来てくれていた、確実に美味しいものをたくさん食べて来たに違いないミュヘンフィルのコンマスという大物ゲストですらも、おかわりをおねだりし「僕はこのケーキを食べにまたこの講習会に来るよ」と言ってたのを覚えている。

 

レシピは秘伝で教えてはくれなかったが、どうやらレシピ通り作ってもだめらしいということで、もう一度食べたければまた講習会に参加するしかないということであった。

豪快で、気難しくて、でもめちゃくちゃ優しい彼が作り出すから美味しかったのだろうか、それとも講習会場の雰囲気がより一層美味しく感じさせていてくれたのか、といろいろ要因はあるだろうが、あのチョコレートケーキの味だけはずっと覚えていたいものである。

料理担当が唯一の仕事 La cuisinière pour la famille

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ついに今月の11日にフランス全土で自宅待機が緩和されることが決定。

私の住んでいる区域は地図の中でも危険レッドゾーンの赤に塗られているが、基本的には差はつけないそうだ。

しかし果たしてどうなるやら。

 

この約2ヶ月間私は完全なるフリーターと化したのだが、唯一あった役割は週に1度の晩御飯担当だった。

学校の先生というのもあり、しっかりしている家のお母さんが、自宅待機始まってすぐの晩御飯の団欒中に「みんな家にいるからってだらっとされちゃ嫌なのよ」と毎日のご飯、片付け、掃除担当を全員で割り振ることを決定した。

私は料理担当だけふられ「なにも自分のものじゃないのに、片付けさせるのはおかしいでしょ」とお母さんの良識により、無事、片付けと掃除担当は免れた。

 

料理をするのは幸い好きな方なので、問題はない。

私が小さい頃から、母は料理が好きな主婦であったが、過保護だったのか面倒だったのか、私たち子供に料理の手伝いを頼むことは一切なかったし拒否すらしていた。

おかげで包丁はろくに扱えず、高校の時にあった「りんごの皮むきテスト」の際にはめちゃくちゃ焦ったのを今でも覚えている。

そんな大学を出てからめきめき料理をするようになった私に、母は驚いていた。

 

話が逸れたが、そんなわけで料理をすることは苦痛では全くないのだが、毎回メニューの決定にはいささか困った。

私はやっぱり和食をときどき食べたくなるが、どこまで果たして和食の受けがいいのかわからないし、晩御飯は自宅待機中をしている全員にとって1日の楽しみでもあるので、それを奪うようなことはしたくはない。

そして買い物にいくわけでもないので、家にある食材で調理をしなければならない。

 

若干ハードルが高い中、作ったメニューは大体こんな感じだ。

  • ロールキャベツ
  • 豚肉と根菜の煮物
  • 白アスパラガスのスープ
  • ミネストローネ風のトマトスープ
  • 白魚のピカタ
  • カレーライス
  • サーモンとほうれん草のポテトグラタン
  • 牛肉と根菜の煮物、魚の炊き込みご飯

結論からいくと、煮物のウケはとにかく良くない。

醤油、ダシがしっかりしみこんでいると私が感じる程度では味が足りないようで、醤油を追加でかけていた。

食べてくれるだけ有難い話だが、醤油による塩味を感じにくいのだなと実感したのはいうまでもない。

逆を言うとカレーはめちゃくちゃ人気であった。

 

まだまだ好み調査は続く。

 

 

 

大都市あるあるなのかも Les différences entre des arrondissements dans une grande ville

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4月の初めに、自宅待機中も家で楽しめる娯楽が欲しいと思い、いろいろ検討した結果、Amazon primeに加入した。

目的は映画を見るためである。

今から4年ほど前にフランスでNetflixに加入したことがあるが、その頃は日本語字幕の設定もなければ、ましてや日本の作品など1つもなかった。

今はフランスのAmzon Primeでも作品によっては日本語字幕もあるので、感謝の一言である。

 

見たかった名作も観れて満足していたのだが、数を観るうちに洋画のオーバーな感じに少し疲れて来たので、日本の作品を見たいなーと物色。

すると「東京女子図鑑」というドラマがあることに気づいた。

話はよくわからないが、主演は水川あさみだし、なんとなく見ることにした。

 

結論から言うと、すごく興味深い作品であった。

大まかに言うと、秋田出身の主人公が「人から羨ましがられる人間になりたい」と上京し、人生のてっぺんに登りつめたいと東京で奮闘する話だ。

主人公がその時の心境に合わせて、東京内で引っ越しをするのだが、それが面白いのだ。

東京といっても、場所によって全然雰囲気が違うので、主人公がトップを登りつめたいと奮闘する頃には、銀座に移り住んだりする。

私は東京に住んだことがないのだが、それでもなかなか興味深かった。

 

というのも大都市である、パリにもこのような風潮があるからだ。

パリは東京23区内に比べるとすごく小さいのだが、その中でもまた同じようなことが起きている。

パリは全部で20区に区切られており、番号はかたつむりのような順番で振られている。

パリもまた区ごとに見せる顔が違うので、「パリのどの区に住んでいるの?」と聞くのはしょっちゅうである。

 

パリで良い場所と言われているのは、パリという街の始まりとも言われている、パリのど真ん中にあるセーヌ川の中洲、シテ島、サンルイ島、もしくは高級住宅街であるパリの西側に位置する16区である。

ちなみにどちらに住んでいても、家の窓からエッフェル塔が見えるというのも決して夢ではない。

 

私は中華街のすぐ側の13区に住んでいたのだが、とても住みやすかった。

治安も悪くなく、アジアンレストランが結構あり、スーパーもたくさんあったし、家のすぐ前にマルシェが毎週2回開かれていたので、私はとても満足していた。

結局その後パリの中で引っ越しをすることはなかったのだが、東京女子図鑑でいう三軒茶屋だったのかなと想像する。

私は主人公のように居心地が悪くなって引っ越そうなんて思いもしなかったので、東京ゲームに参加することもなかったのだろうなと、余計な妄想を膨らますことまでできた。

 

他にもいろんなヒエラルキーなど、興味深い点が詰まっているドラマなので、ぜひ観ていただきたい。

兄との近況報告会 La correspondance avec mon frère

フランスは経済的なことを懸念して、今月11日からの外出禁止の緩和を計画しているが、私の住んでいる地域はフランス内の中で状況が良くない地域なので、再来週からの生活に変化はなさそうである。

 

もちろん相変わらず私のひきこもり生活は今も続いている(ついに4月は1度も家の敷地から出なかった!)が、良いことの1つに普段連絡を取らなかった、もしくは取れなかった人と連絡をとれるというのがあると思う。

今朝、日曜日ということで、久しぶりに兄夫婦の家族とスカイプをつなぐことができた。

 

私と兄は年齢で7つ離れており、家族旅行が大好きだった両親のおかげで、しょっちゅう一緒に家族旅行に行ったおかげか、一般よりは距離は近い方だと思うが、前回兄と話したのは私の自宅待機が始まった直後の今から約1ヶ月前のことで、それはおよそ1年半以上ぶりの会話だった。

そして今回は12月に生まれたばかりの甥との初めての対面だった。

甥はちょうど4ヶ月になるが、ぷくぷく順調に育ち、まるで千と千尋の神隠しに出てくる坊のような、貫禄を持っていて可愛いかった。

兄夫婦たちは子育ての苦労話を私に面白おかしく話してくれたりと、最近の近況をお互いに情報交換し、お互いの笑い話に花を咲かせられて、大いに笑った今朝だった。

 

 

 

 

外出禁止令の終わりは見えるのか  déconfinement

フランスは昨日、新たな発表があり、学校の再開は5月11日ではなく、中学校は1週間遅れ、高校は1ヶ月で再開する見通しになりました。

 

ちなみに私は試験がビデオ審査になりました。

伴奏も本来つくべき曲も無伴奏で録音しないといけなくなり、録画できる場所も探さないといけなくなりました。

授業も夏まで全てオンラインであることが決定済みです。

そうすると、なんだかフランスにいる意味をますます感じられなくなって、凹んでしまった昨日でした。

 

家にいる日を楽しめる日と家にいるのが辛い日の波があって、時々しんどくなりますが、来るはずのゴールまで頑張りたいと思います。

弦楽器工房と弓工房 Le luthier et l'archetier

今回は楽器の話。

 

実は昨年楽器を新しく購入した。

その話をサックス吹きの友人にすると、どこの楽器店で購入をしたのか尋ねられ、かなり驚いた。

私の中ではすっかり常識だったので驚いたのだが、量産されたものではない弦楽器の購入を考えた際、私たちは街の楽器店に行き、購入することはまずない。

 

私たちが訪れるのは弦楽器職人の工房である。

大抵の工房はメンテナンスや修理だけでなく、楽器の販売、貸出も兼ねていることが多く、その工房が持つ楽器を見せてもらうのである。

その工房がどこかからか仕入れ、メンテナンスをした楽器の場合もあれば、その工房の職人が1から作った作品の楽器であることもある。

ちなみに後者の人気の工房の場合、1つの楽器を製作するのにおよそ3ヶ月から半年を要するため、リスト待ちになったりする。

日本ではヨーロッパより需要が少ないので、弦楽器の工房といえば、ヴァイオリン本体から弓全てのことを兼ねていることが多い。

 

ここでフランスのすごいところは、弓だけのための工房 Archetierが存在することだ。

要するに弓のスペシャリストがいるのである。

考えてみれば、ヴァイオリン本体と弓の作りは当然全く違うものなので、同じ人が全てするのも少し変な話である。

 弦楽器を知らない人は弓の大事さがあまりピンとはこないだろうが、弓は私たちにとって料理人の包丁のようなものだ。

わずかな木の重さ、バランス、しなり具合などで、音は全然違うものになる。

弓にも名器と言われる弓があり、それらはフランス発祥の文化なのである。

今でもフレンチ弓が最高峰と言われている。

ヴァイオリンといえば、高額で知られている名器ストラディヴァリウス、ガルネリなどはかなり有名だと思うが、あの美音を鳴らすのに半分はそれもまた名器の弓が担っているのだ。

そのクラスの弓になると弓1本で家を買える値段といえば、分かりやすいだろうか。

 

弓のスペシャリストがいることの、分かりやすいメリットは毛替えが大抵上手であることだ。

毛替えとは、弓の毛は馬のしっぽなので消耗品が故、大体半年に一度を目安に交換することである。

そこに技術があるとは私もさほど思っていなかったのだが、ある時別の工房で交換をした時に交換をする前より弾きにくくなってしまったなんてこともあった。

 

弦楽器は楽器のパーツが多いせいで、全てがうまくいっていないと良い音が出ない、なかなかにややこしい楽器である。

ちなみに弦ももちろんその一つで、以前書いた記事はこちらから。

kasumiviolino.hatenablog.com

 

実は今私はめちゃくちゃ弓の毛替えをお願いしたいのだが、なんせ外出禁止令が出ているので、工房にお願いはもちろんできない。

今はせめて楽器に不備が出ないようにしたいものである。

教育ママたち Les mères qui s'impliquent dans l'éducation de ses enfants

現在家族と住んでいるが故、家族の団欒に混ざるので、しばしば家族の思い出話を聞くことがある。

(時には他人の私が聞いていて良いのか、戸惑うような会話もあるが)

今では娘たちもすっかり成人していて大人だが、 どうやら皆相当やんちゃだったようだ。

ある時、家のお母さんが思い出の品として出して来たのが、たくさんの紙束だった。

それは子供達を叱った際に、紙に20回近く反省の文を繰り返し書かせたもので、例えば

「お母さんが怒っている時に押したりしません」(傑作)という文を子供の可愛い字で20回以上書かれていた。

そして昭和のような反省のさせ方に私は少し驚いた。

 

基本的に音楽家を育てた親は教育熱心であり、スパルタであることが多い。

特に小さい頃から音楽教育を始められるヴァイオリン、ピアノを習わせている親に関しては顕著だと思う。

特に音楽家でもない私の母親も例外ではなくその一人で、練習が大嫌いだった私はしょっちゅう母親と喧嘩をした。

 

そんな私の練習のモチベーションを支えてくれたのが、スーパーファミコンのゲーム、ドラゴンクエストだった。

我が家は基本的に、成功報酬を求めることが可能で「〜ができたら〜ができる、もしくは買ってもらえる」という、昨今では間違った教育法として有名な教育方針であった。

その1つがドラクエで、ヴァイオリンを練習した分だけ、ドラクエをさせてもらえるという約束があり、私はドラクエをしたさだけで時計とにらめっこして練習をしていた。

今思えば、絶対上達していないし、効率のよい練習方法とやらを考えるトレーニングにすらなっていなかったと思う。

 

しかし、ありがたいことに母のおかげで師との素晴らしい出会いもあり、私は音楽を続けられている。

今すっかり大人になった私たちは言う、「あの頃憎たらしかった親のおかげで、今まで続けてこられたよね」と。

次は私たちがその憎たらしい親と化してしまうのだろうか。

思い出の風景 Le paysage nostalgique

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日本にさほど帰らなくなった最近、ある時日本から来た友人に日本の食べ物とか恋しくならないのか尋ねられた。

もちろん普通に恋しいけど、日本食はずいぶん以前より手に入れられやすくなったし、日本食レストランもあるにはあるので、昔の人よりは遥かに恋しくないと思う。

では何が恋しいかというと、1つは風景だ。

風景の代表としては桜である。

桜はやっぱり特別な風景だとしみじみする。

 

日本の桜のことは外国人にとっても有名で、桜を見にいくのが夢だと言ってくれる人も少なくはない。

こちらでは桜餅みたいなカンザンという八重桜が春になると満開になるが、日本の主流種であるソメイヨシノを私は日本以外でまだ見たことはない。

 

それでも桜を見たい、花見をしたい、というパリに住む日本人の夢のような場所がパリの郊外にある公園ソー公園(Parc de Sceaux)の中にある。

vimeo.com

 

そこの一角になんと264本もの桜が植えられているのだ。 

毎年だいたい今頃に満開になり、多くの花見客で賑わう名スポットだ。

このブログに、その見事なソー公園の桜の写真が載っている。

tribulons.fr

 

 

私も桜が恋しい人の一人で、毎年お弁当を作って花見をしに行った。

日本の桜が恋しいのは今も変わりないけど、このソー公園の桜も今は少し恋しい。

今年もソー公園の桜の木は見事な桜を咲かせているのだろうか。

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